下つ巻 第三十七帖
世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草とは一人をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。八月三日、ひつ九のか三。
【下つ巻の始点の帖としてふさわしいもの】 上つ巻の第四十二帖には下つ巻の内容について記述があります。地つ巻にもふでは上つ巻と下つ巻を先にハラに入れるようにとあります。第一帖は先頭の帖と思いがちですが、コノハナサクヤ【一】のグループとして見た場合、コハナサクヤは第三十七帖・第二十八帖・第十九帖・第十帖・第一帖の順番の円形となります。下つ巻の第三十八帖の記述内容が巻全体にかかる言葉を使用していますので、この帖を巻の終点とします。この終点を固定すると始点が導かれるようになっています。