黄金の巻 第六十三帖
奥山奥山と申してあろうが、ふでは奥山から出て、奥山で分けるくらいのこと、何故に分らんのじゃ。誰でもが勝手にしてならん。それぞれの順立てねば悪となるぞ。判らんのは、われよしからぢゃ。本から固めて行かねば何時までたっても小田原ぢゃ。小田原も道筋ながら、それでは世界の人民 丸つぶれとなるぞ。三分残したいために三千の足場と申してあるのぢゃ。早う三千集めよ。御役 御苦労。(十二月七日)一二十
*【小田原】東海道五十三次の小田原宿を連想してしまいます。宿場関連では古事記の岩戸開きに書かれた一節に注目しました。天孫降臨の地につきましては古田武彦氏の九州博多起源説を私は支持したいと思います。ここではそれとは違う私の気づきを書きます。「つくしのひむかのたちばなの・・・」のつくしにつきましても仮名表記のため九州の古称以外にも次四と読めます。つくも(九十九)にならった場合は日本橋を0地点とした場合3番目にきますのが保土谷宿です。奈良時代以降は橘樹(たちばな)を名乗っていた川崎一帯と近い状況があります。【ひむか】とは上つ巻第5帖にて、神を迎え入れること神の使いのこととされていますから場所を表わしていることではないようです。ウシトラコンジンは東北とか丑寅の方角にあるようですから、0地点の日本橋を拝む形になっており、保土谷宿を指しているケースも考えられます。奈良時代には東海道五十三次は存在しませんが、中今とは現在過去未来が同一に現れることのようです。古事記は神によって誘導された自動書記であることはフデを読めば一目瞭然であり、特に神代の巻は完璧に誘導されていると思います。岩戸開きの続きで「おとのあはぎはらにみそぎはらえたまうときになりませる」のおとは小戸でアハギハラはナルトの意味があると思います。徳島のナルトは有名ですが、うずうみの規模では日本列島の東側をほぼカバーするスケールの大きな潮流の出会いがこの安房の国の小戸港の目前に存在します。千島海流の親潮と日本海流の黒潮が出会う場所です。この位置から北の方角には蘇我を貫き日本橋があります。その先には2600年前に祖国日本元号を発表したとされる中山石塔山があります。うずうみを起点として北には日本の歴史の痕跡を知ることができるようになっております。また、宇宙波を田の一文字でルビがふられています。これを小田原にあてはめることもできるかもしれません。2024/02/12