黄金の巻 第五十帖
口で云ふことよくきけよ。肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。はげしくなるぞ。世界一平まだまだ出来さうで出来ない相談。奥の奥、見通して下され。うごきは必要であれど、皮むくぞ。次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ。仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう。神示しめすに、順乱して来るぞ。慾出して下さるなよ。順乱れる所に神のはたらきないぞ。人民 自由にせよと申して、悪自由してならん。(十二月七日)一二十
1944年以降はじまる自動書記の段階から巻の順序と解読を比べた場合、重きは帖の解読に置かれていたのではないかと思います。ほぼ書記日に準じて巻の順位がつけられていますが、地震の巻だけは書記日を気にしない位置にあります。理由についての説明書きも今まで見たことがありません。ただし、帖に書かれている内容をきっかけにして、帖の順番がレンズを通して映っていること、そして、巻自体の順番もレンズを通して映っていることを私は知りました。これがあめつちの順番であることを願うばかりです。錯乱との違いは神の働きがあるかないかと本文にも書かれていることでもわかります。また、他帖では想念は自由であること、現界(での時間と空間)の拘束により人民には自由はないことも書かれていました。