黄金の巻 第010帖

黄金の巻 第十帖

もう化けては居られん。化けの世はすんだのであるから、人民ウソしてはならんぞ。嘘見分ける鏡 与へてあるぞ。早う改心なされ。仏の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、早う改心結構ぞ。アラーの取り次ぎさん、道教も同様ぞ。人間はいつも創られつつあるものぞ。これでよいと云ふことはないぞ。ゴッドも仏も神も皆その通りざぞ。世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。何れも誠の現われであるぞ。はうべんの世はすみてハウベンの世となるぞ。そのハウベンの世すみて誠の世となるのぢゃ。善悪なき世となるのぢゃ。判りたか。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)

教祖までは立派であっても、取次ぎが嘘の現われになっている。取次が教祖をトップとして固定してしまったため、教祖が善であっても時の経過とともに固定した善、つまり動かない善は悪であることが証明されます。教祖の教えは時代とともに合わせて創られつづける必要があったとも理解できるかもしれません。方便の古語、はうべんがハウベンになっていること。日本の古語が外来語読みに変化していますので、日本の古語だと思っていたものが、外来語に侵略されていたたともとれるかもしれません。。根拠は世界のひな型であるのは日本書紀日本国(以下記紀日本で示す)なのか紀元前に成立した日の本国なのかをまず検証する必要があることで、借用国名か盗用国名の場合、外来語扱いになる可能性があります。いずれにしても真実が明らかになることにより善悪なき世になります。外道の善とは悪を憎む行為で幽界から人民界にうつった反応を指しそれは悪そのものであると、フデに書かれております。敵対する相手の記録をすべて消滅させる行為に繋がっているのかもしれません。古事記日本書紀そのものはひとつの記録です。その記録を批判する他の記録の存在を排除するという伝統のままでは、善悪なき世には決してならないでしょう。時代は善悪の調和が求められています。2024/02/12