春の巻 第三十三帖
新玉の 真珠の波も 草も木も 春立ちそめて よみかへりけり。
今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ。よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活 生れる。間違った求めには間違った神、間違った生活 生れるぞ。道理ぢゃナア。窮屈であってはならん。しかつめらしく固くなってゐてはならんぞ。笑ひの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのぢゃ。宿命は宿されたもの。一つのワクに入ってゐるのであるぞ。運命は自分で切りひらくこと出来るぞ。磨け磨け、ミタマ磨き結構。信念だけでは行き詰るぞ。
【笑ひの道、喜びの道】参照: 表の喜びが 、愛、真、善、美となり現れ、裏の喜びからは、 、憎、偽、悪、醜が現れるのぢゃ。喜びが神ぢゃと申して裏の喜びではならんぞ。今の人民の喜びと申すのは裏の喜びであるぞ。悲しみを喜びととり違へているぞ。(春の巻第四帖より引用)