冬の巻 第一帖
日1.月102.宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。日2.月101.人間も又同様であるぞ。日3.月100.宇宙にあるものは皆人間にあり。日4.月99.人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。日5.月98.人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。日6.月97.人間には物質界を感知するために五官器があるぞ。日7.月96.霊界を感知するために超五官器あるぞ。日8.月95.神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。日9.月94.この点 誤るなよ。日10.月93.霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。日11.月92.幽界的自分が副守護神ぢゃ。日12.月91.本守護神は大神の歓喜であるぞ。
日13.月90.神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。日14.月89.この三は三にして一、一にして二、二にして三であるぞ。日15.月88.故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。日16.月87.神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。日17.月86.幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。日18.月85.人間の肉体は想念の最外部、最底部をなすものであるから肉体的動きの以前に於て霊的動きが必ずあるのであるぞ。日19.月84.故に人間の肉体は霊のいれものと申してあるのぞ。
日20.月83.又 物質界は、霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じもの。日21.月82.同じ形をしてゐるのであるぞ。日22.月81.故に物質界と切り離された霊界はなく、霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ。日23.月80.人間は霊界より動かされるが、又 人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。日24.月79.人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。日25.月78.幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。
日26.月77.総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。日27.月76.このことよくわきまへて下されよ。日28.月75.善のこと悪のこと、善悪のこと、よく判って来るのであるぞ。日29.月74.故に、人間の生活は霊的生活、言の生活であるぞ。日30.月73.肉体に食ふことあれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。日31.月72.霊は言ぞ。日32.月71.この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ。
日33.月70.死んでも物質界とつながりなくならん。日34.月69.生きてゐる時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ。日35.月68.そなた達は神をまつるにも、祖先まつるにも物質のめあてつくるであろうがな。日36.月67.それはまだまだ未熟な事ぞ。
日37.月66.死後に於ても、現実界に自分がある。日38.月65.それは丁度、生きてゐる時も半分は霊界で生活してゐるのと同じであるぞ。日39.月64.自分の衣は自分の外側であるぞ。日40.月63.自分を霊とすると、衣は体、衣着た自分を霊とすれば家は体、家にゐる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。日41.月62.更に祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。日42.月61.兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。日43.月60.人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。日44.月59.切りはなすこと出来ん。
日45.月58.自分のみの自分はないぞ。日46.月57.縦には神とのつながり切れんぞ。日47.月56.限りなき霊とのつながり切れんぞ。日48.月55.故に、神は自分であるぞ。日49.月54.一切は自分であるぞ。日50.月53.一切がよろこびであるぞ。
日51.月52.霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。日52.月51.よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。日53.月50.先祖霊と交渉深いぞ。日54.月49.神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。日55.月48.その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。日56.月47.中間に属するものもあるぞ。日57.月46.神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。日58.月45.正流に属する祖先は正守護神の一柱であり、外流に加はるものは、副守護神の一柱と現はれてくるのであるぞ。日59.月44.外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。日60.月43.それは己の心の中にその霊と通ずるものあるためぞ。
日61.月42.一切が自分であるためぞ。日62.月41.常に一切を浄化せなならんぞ。日63.月40.霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。日64.月39.霊体一致が喜びの根本であるぞ。日65.月38.一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。日66.月37.それは霊なるが故にであるぞ。日67.月36.霊には霊の霊が感応する。日68.月35.又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。
日69.月34.二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな。日70.月33.霊が元と申してくどう知らしてあろうが。日71.月32.人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん。日72.月31.自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん。日73.月30.それが人間の使命の最も大切なことであるぞ。
日74.月29.調和乱すが悪ぞ。人間のみならず、総て偏してならん。日75.月28.霊に偏してもならん。日76.月27.霊も五、体も五と申してあらう。日77.月26.ぢゃが主は霊であり体は従ぞ。日78.月25.神は主であり、人間は従であるぞ。日79.月24.五と五と同じであると申してあろう。日80.月23.差別則平等と申してあらう。日81.月22.取り違い禁物ぞ。
日82.月21.神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、その根はよろこびであるぞ。日83.月20.神の子は皆よろこびぢゃ。日84.月19.よろこびは弥栄ぞ。日85.月18.ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。日86.月17.間違へてならんぞ。日87.月16.正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ。日88.月15.外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。日89.月14.何れも大神の現れであること忘れるなよ。
日90.月13.悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ。日91.月12.神は弥栄ぞ。日92.月11.これでよいと申すことないのであるぞ。日93.月10.大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ。日94.月9.宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸してゐるのぞ。日95.月8.よろこびによって創られてよろこんでゐるのであるぞ。日96.月7.故によろこびなくして生きないぞ。日97.月6.合一はないぞ。
日98.月5.愛は愛のみではよろこびでないぞと申してあろう。日99.月4.真は真のみでは喜びでないと申してあろうが。日100.月3.愛と真と合一し、
するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあるのぢゃぞ。日101.月2.この巻 冬の巻、五月五日の佳き日。日102.月1.ひつく神。
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】無限という善悪平衡世界の歓喜 2024/03/31記
